第1節 本調査研究の背景と目的

 人が活き活きと働き、心の豊かさやゆとりを失わずに安心して暮らしていける社会は、いつの時代でも変わらぬ大切なものであり、そのために必要となる生活を支える労働の対価(賃金)は、人々の暮らしの基盤をつくる大切なものである。しかし、一時の内的・外的要因により賃金の低下や物価水準の変動などによって「暮らし向き」が悪くなることも往々にしてある。その結果、働く意欲がそがれ、生活に満足感を覚えることができなければ、社会全体の活力にも大きな影響を与えることになるであろう。私たちは、この「心の豊かさやゆとり・安心」を持ち続けていける暮らしのための「生計費」は、現代社会においてどれぐらいの水準が妥当であるのか。また、そのための賃金水準はどの程度であるべきかを問いかける必要がある。そして、この問いかけをするために、まずは現在の賃金や生活はどのような状況であるかを見ておく必要がある。

 現在、賃金をめぐる新たな動きとして地方自治体による「公契約条例」制定の動きがある。2009年9月に千葉県野田市で初めて制定され、その後、2011年4月川崎市で施行されたほか、相模原市、多摩市の市議会で条例案が可決されている。そのため、他の自治体でも検討の動きが広がってきている。この条例が制定された背景には、1990年代以降、採算を度外視したダンピングとも受け取られかねない入札などがあり、低価格入札が横行する中で、労働者の報酬が大幅に減少してきたという実態に自治体が危惧を抱いたことにある(上林,2011)。
 先の野田市の公契約条例の条文第1条には「目的」として以下のことが書かれている。
 「この条例は、公契約に係る業務に従事する労働者の適正な労働条件を確保することにより、当該業務の質の確保及び公契約の社会的な価値の向上を図り、もって市民が豊かで安心して暮らすことのできる地域社会を実現することを目的とする。」
 ここでいう「適正な労働条件」の実効性を担保するために、「公契約に従事する労働者」の具体的な賃金水準について、同条例第6条により「市長が別に定める1時間当たりの賃金等の最低額以上の賃金等を支払わなければならない。」としており、最低賃金法のもとで定められた最低賃金額を上回る賃金額が毎年設定されている。このような民間企業の賃金水準に行政が積極的に関与するといった取り組みは、他の地方自治体にも影響を与え、検討が進められているところでもある。しかしながら、いまだ一部の自治体での施行であり、公共業務に限定されていることから、社会全体としての大きな動きにはいまだなり得ていない事実もある。また、公契約条例が求める「適正な労働条件」確保のための賃金額の設定のためには、「人の生活水準」に対する考え方をさらに明白にしておく必要があると考える。